ご挨拶
武陽会会員の皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。また平素は武陽会並びに母校兵庫高等学校の発展へのご協力をいただき、誠にありがとうございます。令和4年度武陽会総会におきまして、理事長に再任され職務を継続することと相成りました。任期2年間を務めるにあたり、所信を表明させていただきます。
さて当会運営の第一義は、母校兵庫高校と兵庫高校生を支援と考えます。コロナ禍による社会環境の変化や近年の不安定な社会情勢を見据えて、校内の設備の充実や環境整備をはじめ、今後も現役生徒諸君の教育活動や部活動がこれまでと変わらず実現できるよう、私たち卒業生が支援を続けて参りたいと考えております。「武陽会は母校の応援団」でなくてはなりません。今後とも皆さまのより一層のお力添えを賜りたくお願い申し上げます。
そして四綱領「質素剛健自重自治、これを達成するに至誠を以てす。」に基づく伝統の継承です。その大きな柱の一つは、1964(昭和39)年から続く島田叡氏事跡顕彰事業にあります。今年、映画「島守の塔」が公開されました。その映画中、島田と召集された中学生との二つのシーンがありました。新聞を島田に手渡した中学生が去り際に振り返り、「戦争が終わったら、学校に戻れますか。私はもっと学びたいです。」と島田に告げ、島田も応える。時は過ぎ、攻撃が激化し砲撃により少年の息絶えた姿を見つけた島田は悲しみに耐えきれず絶叫する。知事として住民の生命保護と軍政下における軍の要請に対し、学徒の動員に従わざるを得ない二律背反の苦悩の中での島田の叫びは命の叫びです。
映画の捉え方は人それぞれですが、太平洋戦争末期の熾烈を極めた沖縄戦における沖縄県知事在任中の島田氏の慈愛に満ちた言葉や行動は、神戸二中・兵庫高校に脈々と流れる伝統をまさに極限の中で体現されたものと思います。兵庫高校創立100周年記念で島田叡氏の座右の銘を刻んだ「島田叡氏顕彰碑」を沖縄摩文仁の「島守の塔」横と兵庫高校の「合掌に碑」横に建立された発起人代表冨田和雄氏(44陽会)の記念誌でのお言葉をお借りすれば、「島田大人(うし)の信念と兵庫県武庫の陽み(みなみ)なる武陽が原にある母校で培われた、質素剛健自重自治の精神が見事に沖縄で花咲き、この摩文仁が丘に咲き誇りつづけて下さることは、後輩冥利に尽きるというものでございます。」とあります。伝統とは過去から現在に、そして未来へと継承されなければなりません。島田叡氏を母校の誇りとして讃えるだけではなく、その顕彰事業の継承は生きることの、生きていくことの大切さ、命の尊厳を伝える島田イズムを通しての伝統の継承でもあります。
今後とも母校兵庫高等学校と武陽会のますますの発展に、精一杯の努力をしてまいる覚悟でございます。何卒倍旧のご支援、ご鞭撻を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。
令和4年12月
武陽会理事長
65陽会 新 居 大 典